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浮世絵入門・横浜金沢

浮世絵と横浜金沢、当店の名前「金沢文庫」ゆかりの地

広重をはじめ、多くの絵師に愛された横浜金沢
近年、横浜・八景島シーパラダイスや海の公園などで多くの人々が足を運び、季節を問わず賑やかな街並みの横浜市金沢地区。
なかでも歴史を紐解くと、関東第一の景勝として名高く純日本的な景観をもっていた金沢八景は、江戸から身近で簡単にひと巡りできる広さであったため、江戸の人々にとって、心身ともにリフレッシュするのに好適な場だったようです。東海道を行き来する旅人にとっても、旅の疲れを癒す恰好の場所でもありました。こうして江戸の人々から愛された金沢八景は、広重をはじめとする多くの絵師によって描かれました。

歌川広重「武陽金沢八勝夜景」
歌川広重「武陽金沢八勝夜景」

『江戸時代、狭い地域でありながら、風景画や絵地図が大量に刊行されたという点で、金沢八景の右に出るところは少ないであろう。江戸市民の遊覧客が郡をなしてここを訪れるようになったのを受けて、能見堂・金龍院という二つの拠点が競いあってさまざまな絵図を刊行し、金沢土産として売り出したからである』(金沢文庫特別展図録/金沢八景より引用)

広重と金沢八景
多くの絵師による金沢八景の絵画化の流れや、心越禅師の漢詩とともに金沢八景の景観が定式化されると、直接に現地で写生をしなくてもコラージュ風にあしらうことができるようになっていきました。
そうした流れを大きく変えたのが歌川広重でした。広重は、美人画をふまえた金沢の風景画を描いたり、金沢八景の景観を構成する重要な要素だった烏帽子島をポイントにし、暮れていく静寂感を表現したりと精力的に金沢八景をモチーフとして描き、晩年には「武陽金沢八勝夜景」を描き上げました。

『晩年の1857年(安政4)に描いた「武陽金沢八勝夜景」は、広重のみならず、江戸時代に描かれた金沢八景の風景画の最高峰と見られる作品である。本図は、能見堂からの眺望をもとにしているが、これは広重が1851年(嘉永4)5月10日から6月24日まで、阿波藩家中の武谷機子ほか四人と同行した武相旅行における金沢八景の写生をもとにしている』(金沢文庫特別展図録/金沢八景より引用)

『「武陽金沢八勝夜景」は、静けさの中で野鳥が浮かび上がり、遠く三浦、房総の山々が連なり、中央の空高く満月が輝いている。空をよく見れば小さく雁が群をなして飛び、月下の絶景とたくみに対比されて切迫した臨場感が描き出される。この作品には、金沢を見つめる広重の感情が、構図上に重なってゆるぎなく写し出されている。広重が最後にたどりついた金沢八景の風景美とは、白露が夢のように浮かぶ秋の夜にふさわしく、風も光も一瞬にして止まった、鎮魂の光景とみることができよう』(金沢文庫特別展図録/金沢八景より引用)