夏の江ノ島は、いつにも増して大賑わいですが、
北斎さんの描いた江ノ島は静かで
なんですか、まるで夢の中で空から見おろしているみたいですよ・・・
みなさん『アート大好き青野カエル的解釈の北斎・富嶽三十六景の旅』を読んだら
昼寝をして、夢で一緒に江ノ島へ行きましょうか〜
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はい、カエルです!
江ノ島の信仰の歴史は古く、552年欽明天皇の時代に始まり、
役小角や空海など超有名人も数多く訪れ、
その岩窟にこもって修行の場としました。
1182年に源頼朝が八臂弁財天を祀ってからは、
弁天様が武運の女神として多くの戦国武将たちの信仰を集めました。
でも、江ノ島の弁天様といえば、
もう一人の「妙音弁財天」の方が人気ですね。
鎌倉中期以降のもので江戸期のものという説もあるので、
新入りなのですが、人気が出ちゃった。
なぜかというと、もうまるっきり全裸だから。
とーってもエロティックなご様子に、江戸の男衆はメロメロ。
「江ノ島詣で」は大流行りでした。
「江ノ島詣で」だけではいかにも物見遊山感が強いので、
「大山詣り」の帰りに寄るというコースがポピュラーだったそうです。
大山は山岳信仰で女人禁制だったので、
奥さん連中を置いて出掛ける口実にも都合がよかったのでしょう。
富士講ならぬ大山講を募っては、
お揃いの物を身につけて団体で繰り出しました。
無事に大山詣りを済ませたら、藤沢宿に泊まって精進落としの大宴会。
江ノ島で裸の弁天様を拝んで、岩屋探検など島内観光を楽しみます。
七里ヶ浜を通って鎌倉に出て寺社巡り、金沢八景を観光して神奈川宿でまた宴会。
信仰とは名ばかりの、楽しい慰安旅行だったみたいです。
もちろん江ノ島信仰は、裸体目当ての不純なものばかりではありません。
琵琶を抱えた、妙音弁財天は音曲の神様としての御利益もあるため、
歌舞伎や浄瑠璃などの芸能関係者もこぞってお参りに来ました。
江戸から比較的近くて見どころ満載、風光明媚でご利益もある江ノ島は、
当時から大人気スポットだったのです。
しかし、北斎の「相州江ノ島」は
江戸の講中の騒ぎとは無縁な、穏やかな風景画です。
徒歩や馬で砂州を行く人がまばらなのは、シーズンオフだからでしょうか。
大山詣りは夏がシーズン、この絵は新緑が美しく、
磯遊びにはちょっと早い春の大潮の頃かもしれません。
いつものような誇張や演出もみられず、写実的で自然な風景です。
わざわざ工夫を凝らさなくても、歩いて渡る海の道や小さな島に
密集して建つ家並みなど、そのままで十分珍しい景色ですものね。
その中でも江ノ島を丸ごと全部描かず、
左端をちょっと切って富士山に右の空間を譲っている所なんかは、
憎い演出と言えるかもしれません。
・・・最後に、細かいところが気になるカエルの悪いクセなのですが。
江ノ島の入り口といえば青銅の鳥居ですが、
この絵ではなんと青銅の燈籠(とうろう)になっているのです。
現在ある鳥居は、1821年(文政4年)に再建されたと言いますから、
北斎61才の時。
とすれば、この絵はそれ以前のスケッチをもとに描かれたのか。
鳥居の前は、燈籠があったということなのか。
あるいは、何らかの意図があって鳥居を燈籠に変えて描いたのか。
誰かご存知ないですか?
気になって昼寝もできません。
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カエルの旅、次回もどうぞお楽しみに!