ムムム、
ちょっと謎めいた美人画の謎解きに
アート大好きカエルが挑みますよ!
こちらの美人、あまり見かけない顔ですが、どなたでしょうか。
右肩の判じ絵を読み解くと、武士の後ろ姿で「し」、葉っぱに点々で「ば」。
炭と野原に、柄のない柄杓(ひしゃく)みたいな器。
どうやらこれで、「芝住之江」と読ませるようですが。
カエルとしては最後の器が柄杓に見えないし、
仮にああいった形の柄杓があったとして、
杓の方が残っているのに、
なぜそれを「え」と読むのか、全く解せないのです。
そんな訳で、タイトルからしてなんか釈然としない「芝住之江」。
そしてこのモデルさんにも謎が多いと思うのです。
一体何者なのでしょう。
「芝」は将軍家の菩提寺である増上寺がある、港区の芝ですよね。
でもって、「住の江」がこの方のお名前なのでしょう。
港区芝にお勤めの住の江さん、というのが
こちらのモデルさんだ、ということになります。
しかし、なんだか漠然とした情報です。
茶托を手に持っているので、お茶屋の看板娘なのでしょうけれど、
ならば勤め先の屋号をつけた方が分かりやすいような気もします。
「難波屋 おきた」みたいに。
それに名前の方も、引っ掛かります。
「住の江」って、明らかに本名じゃないですよね。
遊女や芸者じゃないから源氏名でもないし、
それ以外なら飯盛り女でも茶屋娘でも、おきた、おひさ、のような
「おの字名」であって然るべき。
歌麿さんの他の作品を見てみると、モデル個人を特定する時には、
ほとんどの場合、その人の所属する屋号または団体名と、
お名前が書かれています。
例えば今回の「五人美人愛嬌競」の五人は、
松葉屋喜瀬川、兵庫屋花妻、八ツ山平野屋、富本いつとみ、
そして、芝住の江。
前三人は、所属する遊女屋の屋号の後に源氏名、
富本は富本節という唄の流派で、
その団体に所属する、芸名いつとみさん。
こう見ると、「芝住の江」になぜ、
カエルが引っ掛かっちゃってるのかがお分かりでしょう。
これでは彼女の正体が分からないのですよ。
持ち物や服装は水茶屋店員だが、店名は不明。
本名は分からないが、芸名らしき名を名乗っている。
元芸者だったとか、有名美人の住の江に似ていたから、
その名で呼ばれたとか?
降参です、よくわかりません。
正体不明の美人といえば、
「高名美人六家撰」の「旭屋後家」という人も謎ですね。
こちらも名前は判じ絵で書かれているので、
「旭屋」のところの絵は、森の向こうに太陽が半分顔を出していて、
黒い鳥が数羽飛んでいるというもの。
なので諸説あって、「旭屋」の他にも「日の出屋」だとか「烏森」だとか、
どこの後家さんなのか特定が難しいそうです。
しかし、どちらも現代人にとっての「謎の美女」。
当時の江戸っ子たちには、「芝の住の江」といったら、
あぁ、あの娘ね、
おきたにはかなわねぇけど、確かに愛嬌はあるね。
どこだかの「後家」といえば、噂で聞く、
あの後家ってのはこんなに色っぽいのかい、たまんないねぇ。
みたいに、誰にでもすぐにわかるほどの通り名だったのでしょうね。
全然関係ないのですけれど、
歌麿さんって人物は素晴らしく上手いけど、
茶托のデッサン、どうなのって感じ。
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次回も
『アート大好きカエル女史がナビする
カナブン流、歌麿美人画の旅』お楽しみにね!