先日のブログで「金沢文庫パノラマ鳥瞰地図」の
お話しをしました。
不思議なもので鳥瞰図を眺めるとデジタルな地図が
ちょっと物足りなくなってきます。
なぜでしょうね。
不思議です。
たぶん、鳥瞰図はそこに暮らす人や日常がイメージできるからかもしれません。
ザワザワとした町の音、商店街の賑わい、走る電車の音まで
聞こえてきそうなんです。
そんな楽しい鳥瞰図を描いてくれた鳥瞰図絵師の
安楽雅志さんに絵の仕事を始めるきっかけや
鳥瞰図への思いなどをインタビューしてきました。
ちょっと長めなので、
のんびりお茶など飲みながら、
ゆっくりじっくり読んでいただけたら嬉しいです。
(金沢文庫鳥瞰図をたたんで入れるカバーにも安楽さんの楽しい絵が満載)
ーー安楽さんが絵の仕事を始めたきっかけを教えてください。
安楽さん
僕はこう見えて陸上をやっていたんです、400メートルハードルを。高校の時は広島県で第2位になったり、記録も良かったので大学でも続けていたんですが、2年になってから記録が伸びなくなるし、体力が落ちていくのを実感して、そこから考えたんですよ。自分の残りの人生、例えば60年あるとして、陸上だけにしがみついていてもしょうがないんじゃないのかなぁって。陸上選手を見ていると、30歳や40歳、50歳で世界新記録を打ち立て、現役でバリバリ活躍する人をほとんど見ることがありませんよね。陸上は若さと体力に頼らないといけない比率が大きいので、じゃあこれからずっと自分が成長し続ける仕事は何だろう、一生にわたって自分を商品として売り続けるにはどの世界がよいのだろうと考えました。それで思ったのが、絵を描くことだったんです。絵は大器晩成が通用する世界だと感じたんですよね。アンパンマンの作者、やなせたかしさんのように60歳を越えてから認められ、大輪の花を咲かす方などいるのを見て、絵はアイデアさえあれば一生描き続けることができると思いました。
ーーそれまで絵を描いたことは?
安楽さん
それがなんと全然。デッサンも何も専門に習ったことがありません。しいていえば高校や大学の授業中、スケッチと称する落書きをしていました。眠気覚ましと授業内容を忘れないようにするためのメモなんですけどね(笑)。だから僕の絵の原点は授業中に描いていた落書きです。内心、絵を描くことは上手かもしれないと思っていましたが、「絵を描く仕事」にどうやって就いたらよいのか、かいもく見当がつきませんでした。ただ、陸上はグランドがないと練習も難しいけれど、絵は電車やバスに乗るときなどのすきま時間に描けるし、場所もあまり選ばないんだと思って、それからですね、絵を描く仕事が自分に出来るか興味を持ち始めました。僕は中国文学の専攻だったこともあり何度も中国に行っていたんですけれど、今後の人生を考えるようになってから初めて行った中国で、あらためて民芸品を見たり、画家さんが絵を描いている姿を見て、色々なスタイルで絵の仕事はできるんだと思いました。ある時、路上で切り絵の実演をやっている人を見て、僕は経験がないけれど切り絵の似顔絵はできそうだと直感的に思ったんですよね。
ーーおぉ! 直感を感じたんですね。
安楽さん
そうなんですよ、でもそれまで絵をちゃんと描いたことがないから、まずは中国で直感を受けた切り絵の似顔絵から始めてたのが僕のファーストステップです。大学の学園祭で切り絵の似顔絵をやってみたら思いのほか好評を受けて、そこで自信がついて、名古屋でやっていたアートイベントに出展したんです。
ーーそこでは何を出展したのですか?
安楽さん
怪しげなお皿を並べました(笑)。僕は旅先でご当地のお面を買うのが好きで、なかでも中国や韓国に行くと、土俗的なおもしろい顔のお面にたくさん出会い、愛嬌のある顔に感銘を受けていたんですよね。ちょうどその頃、色々な形で切り絵にチャレンジしていた時期で、切って貼って絵の具を塗って土器のように見せるやり方に夢中だったんです。でも素材が紙なので、食用としては使えないなと思いながら並べていました(笑)。これが自分の絵を披露する始まりになるんですけれど、この時はほとんど売れませんでした。このアートイベントで名古屋を拠点に活動をしていたイラストレーターさんから、絵の仲間を集めているんだけれど一緒にやらないかと声を掛けていただいて、そのご縁で広告代理店さんからイラストを描く仕事を経験しました。それが僕のイラストレーターとしてのデビューで、大学を卒業する直前でした。
ーーそこから本格的にイラストレーターとして活動を始めたのですか?
安楽さん
いえ、デビューしてもそこからすぐに仕事が増えていくわけではないので、名古屋に出て、カメラマンのアシスタント、イラストレーターやデザイナーさんの手伝いなど色々なことをしました。自分で営業をしながら、イラストレーターさんの下で教えてもらった2年間で、イラストレーターとしての絵に取り組む姿勢、商品としての絵の考え方、お客様に対する姿勢など根本的なことを教えていただきました。このとき教えていただいたことが今の仕事の仕方にすべて反映されていると思います。その方や周りの方には心から尊敬し感謝しています。
ーーいま所属されているプレジャー企画さんとの出会いを教えてください
安楽さん
たまたま営業でまわった先でプレジャー企画に出会いました。ショッピングモールの中でやっていて、ちょうど似顔絵師を募集していたので、後日面接を受けたら絵が描けるならいいよ、みたいな感じで採用(笑)。
(結婚45周年お祝い似顔絵/一般の方:安楽さんHPより引用)
ーーイラストレーターとして始めて、そこから似顔絵師の道へ。
中国で見た切り絵の似顔絵に直感を受けたところから続いていたというわけですね。
安楽さん
そうですね。プレジャー企画には似顔絵師として10年以上キャリア積んだ人がいて、まぁその人がものすごくて。僕には持っていないスキルを全部持っていたので、その人に4か月位ついて色々教えてもらって、2000年にデビューしました。似顔絵の仕事は楽しかったですよ。お客様の目の前で直接絵を描くことで、求められる絵柄やニーズを直接確認できたので、「人はこんな絵が好きなんだな」と肌で感じることができました。早く描く技術、水彩やアクリル絵の具を使う技能、大げさに描く技術、似顔絵コーナーに目を向けてもらうためのPOPを描く技術、色々な方の要望に合わせて描く即興性など、似顔絵の仕事は自分に色々なことを身につけることができましたが、自分の絵をお客様に受け入れていただくために四苦八苦していましたし、同じような境遇の仲間と切磋琢磨していたのは今でもよい思い出です。似顔絵の仕事は作家が表に出るので容姿や雰囲気、絵柄と総合的部分での人気商売になります。僕は容姿や絵柄で他の作家にはかなわない点がたくさんありました(笑)。いやらしい話ですが、容姿や絵柄でかなわないなら「権威」を得ることで補完していくしかないと思い、TVチャンピオン似顔絵選手権に出場させてもらったり、アメリカの似顔絵大会に参加して「受賞」することに夢中になっていきました。3年ほどかけてアメリカでいくつか受賞し、2005年に自分が満足いく賞をいただき、名古屋では万博が盛り上がっていたこともあったのか、色々な新聞やメディアに出演させていただくようになりました。
(↑出版したばかりの食育絵本「カレー地獄旅行」とニッコリ安楽さん)
ーー様々な努力をし続けてきた安楽さんの仕事を語る上で似顔絵はもちろんですが、
鳥瞰図は欠かせないと思います。安楽さんが鳥瞰図に出会ったのはいつですか?
安楽さん
それがいつどこで出会ったのかあまりよく覚えていないんですけれど、衝撃を受けたのだけははっきりと覚えています。たまたま吉田初三郎さんの鳥瞰図を見てガツンと衝撃を受けて、僕もこんな地図を描いてみたいって思っていた時、旅番組の中で使う地図を描いてくれる人いませんかという問い合わせがテレビ番組から会社に来たんです。その話をふられた時に、「はい! 僕がやります!」って、吉田初三郎さんの絵を見た感動があったので、即、立候補しました。
ーー吉田初三郎さんは大正の広重という異名をとっていた鳥瞰図の絵師ですが、
浮世絵の風合いを残しながらもモダンな感じがあるとか、
そういった初三郎さんの作風にかなり影響を受けたのですか?
安楽さん
そうですね、テレビ番組の仕事を受けながら、初三郎さんだったらどんな絵を描くだろうと思いながら構図作りをしました。ただ、僕は吉田初三郎にはなれないし、描くとやっぱり”安楽風”になるので、そこの差は何かありますよね。明るい感じで描いてほしいとかポップな感じにしてほしいとかテレビ番組からの色々なオーダーと自分の中にある初三郎的な感覚をどうマッチングさせるか、毎回、僕の中の苦戦があって。その葛藤が、”安楽風”に育っていったんだと思います。初三郎さんに憧れてイメージして描いているなんて、ひと言もテレビ番組の人には言ってないのでね。
初三郎さんの「養老電鉄沿線名所図絵」という作品があるのですが、その絵の中で滝を大きくデフォルメして描いている作品があるんですね。たまたまテレビ番組の仕事で養老町が出てきたので、初三郎さんならこう描くだろうなと僕は思いながら滝を大きく描いたら、「なんだこれ? こんなに滝が大きいわけがない」と言われながらも、いかに納得してもらえるように養老の滝を巨大に見せて初三郎さんが描いていたようなように中和させるかっていうことを僕はずーっと5年、6年、やってきました。
ーー安楽さんにとって鳥瞰図を描くうえで、吉田初三郎さんは常に意識の中にあるんですね。
安楽さん
はい、でも当時の僕は初三郎さんの作品をおそらく7~8枚程度しか見てないんですよ。今はたくさん見ることができますけれど、まだその頃ってインターネットが今みたいに充実していなかったので、その中でたまたま見ていた7~8枚に影響を受けて、その頃いただいていた仕事を毎週続けていました。憧れだと思います、初三郎さんならこう描くのかなっていう想像を常にしながら。
(↑冒頭にも掲載しましたが、再びここでも掲載したくなります)
ーー安楽さんの作風は昭和ノスタルジーのような独特なテイストがありますが、
それは初三郎さんを意識しながら鳥瞰図を描く中で生まれたものなんでしょうか?
安楽さん
さっきお話ししたことと重なるんですが、僕は似顔絵を描く仕事で四苦八苦しました。容姿も絵柄も他の作家さんにかなわないので、「他の作家さんが描かない絵」を模索して、色々な作家さんの絵を見たり模写するなか、「懐かしい雰囲気」のある絵が僕は好きだと気づいんたんです。看板やポスターを描く時は懐かしい雰囲気のある絵を、イラストマップを描くにしろ懐かしさを感じさせる絵を意識してるなかで出会ったのが初三郎さんの鳥瞰図でした。「懐かしい」というキーワードで描くうち、居酒屋さんの看板や壁画を描く機会を多くいただき「昭和テイスト」が生まれ、テレビ番組でマップを描く仕事を続けるなかで「初三郎調」の鳥瞰図を描くようになりました。そういうものがミックスされて安楽の画風が生まれたんだと思います。
ーーただ単に、初三郎さんに影響を受けて昭和テイストになったわけではなく、
お仕事で昭和の雰囲気を描いていたら、安楽さんの中でマッチングしたんですね。
安楽さん
そうですね。お仕事をいただいた「昭和食堂」さんから、昭和テイストで色々と作ってほしいというご依頼に僕が全部対応していた時期だったんです。
ーーそうした作品の取り組み方は、初三郎さんと似ていますよね。
安楽さん
そうかもしれませんね、僕はとうていおよびませんがビジネスライクの感覚は、徹底していてすごいなと思います。露骨な言い方をしたら、権威のあるところにプレゼンをして、結果を出して信用を貰って、お金をいただいて、その権威のある方からの信用が他の会社にも波及して商売を成り立たせているやり方ですよね。初三郎さんは、お金の管理も一から十まで全部自分で管理されていたみたいですね。自分でプロデュースして雑誌も作っていましたし、表紙の絵は全部初三郎さんが描いていましたよね。
ーー初三郎さんに憧れながらも、
自身の作風を作り上げた安楽さんにとって鳥瞰図の面白さは何ですか?
安楽さん
やっぱり見た瞬間に、町の姿が生き生きとしている感じですね。初三郎さんの鳥瞰図について言えば、その町だけじゃなくて、隣りや向こうにある町の様子もわかるし、町を中心に世界がわかるのがものすごく魅力的だと思います。鳥瞰図の魅力ってここにこの山があるのか、ここに町があるのかっていうのがひと目でわかって、その土地を肌で感じることができることだと思うんですよね。平面図だと山の高さわかんない、どこにどんな建物が建っているかわかんないとか、そういう想像が難しいんですけど、鳥瞰図はそういうことが、ひと目でわかる。
ーー今後、こういったものを描きたいとか抱負を教えてください。
安楽さん
はい、僕は「懐かしさ」「迫力」「ユーモア」、この三つを胸にイラストや鳥瞰図、オリジナル絵本を描いていきたいと思っています。鳥瞰図でいえば、初三郎さんの目指していた鳥瞰図は、世界全体を描きたいというふうに見えました。その町を中心に世界がどうなっているか表現したかったんじゃないかなと僕には見えて、だから僕もその町を表現するのであれば、隣町や歴史も文化も全部表現できるような鳥瞰図を描きたいと思います。地図を通じて、世界を表現したいと思っているんですね。だからそういうのがトータルでできるとなると、絵本なのかなと思います。日本の成り立ちを九州からずっと続いて、江戸、北海道開拓みたいな部分の大パノラマ絵本みたいな形で、それを鳥瞰図で表現したいなって。
ーーああ、面白そうですね。
安楽さん
それは絶対やりたいなと思っています。
ーー作品の構想とかできましたら、是非教えてください。
今日はどうもありがとうございました。
安楽さん
ありがとうございました。