街のいたるところがキラキラしている師走です。 今朝、5時頃に起きて窓から外を見たら 夜明け間近の暗がりの中 キラキラしたクリスマスツリーが見え、 朝なのか、夜なのか 一瞬わからなくなりました。 朝。 そう確認し、 また寝てみました。 さて、
北斎の「神奈川沖浪裏」を アレンジしました。
⬇️例えばこんな青空だったら!?
爽快な気分!
⬇️では、ちょっと穏やかな青空にしてみますね
いつも見ている「神奈川沖浪裏」の 新しい顔を見ているような気持ちになりませんか!!???
⬇️気分を変えて、こちらは夕暮れです
あぁ師走のそわそわした気持ちが スーーーーッと静かに落ち着いていきます。。。。。
【神奈川沖浪裏(かながわおき なみうら)】
「凱風快晴」「山下白雨」とともに三大役物のひとつであるばかりでなく、世界的にも有名でこれほど多くの人に知られた傑作はありません。
大怒濤の逆巻く波の間に、人々の乗る舟のいかに小さく危なげなこと。ダイナミックでスリルに満ちた構図ですが、北斎はその逆巻く波に対し、人々の力を強く打ち出そうとしています。遠景の富士山が静かに見守っているように見えるところが、波と富士の画家といわれた北斎の心なのかもしれません。
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自然の偉大さを感じる逆巻く波。この波が世界の人々を魅了し続けています。 -
遠方に小さいながらも波に負けない存在感を放つ富士山。 -
波間に見える船が自然のダイナミズムを感じさせてくれます。 -
逆巻く波の中必死に押送船を操る人々に人間の力強さを感じます。
葛飾北斎(かつしか ほくさい)
宝暦10年(1760)~嘉永2年(1849)
19歳の時、当時の似顔絵役者絵の第一人者だった勝川春章に弟子入りし、翌年、の画名で浮世絵界にデビューしました。師の亡くなったあと、北斎は勝川派から離れ、京の琳派の流れをくむ俵屋宗理の名を継ぎ、町絵師として活動を始めました。宗理として3年ほど活動し、北斎と名乗りはじめたのは38歳の頃。40代後半に読本の挿絵の斬新な表現が評判となり、50代になると門人の数も増え、葛飾派として一派を作り上げるまでになります。そして北斎の名を不動のものとした『富嶽三十六景』を手がけたのは、70歳を過ぎてからでした。90歳の頃、「あと10年、いや5年あったら本当の画工になれるのに」という強烈な言葉を残しています。
北斎の神奈川沖浪裏が好きすぎて こんなことをしてみました!