戌の刻とは午後8時から9時頃のこと。吉原では昼見世と夜見世があり、後者は暮六つ(午後
6時頃)から始まり、遊女は緋色の毛氈の上に座って客を待ちます。
この絵は、すでに2時間も経ったのに客がつかずに、その間、馴染みの客へ宛てた手紙を書く遊女を描いています。いかにも真面目そうに両手を足に添え、爪先を立てながら遊女の言うことを聞いている中腰の禿と、遊女の語りかける反り気味の体が程よく支え合い、安定した構図になっています。
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この絵は、すでに2時間も経ったのに客がつかずに、その間、馴染みの客へ宛てた手紙を書く遊女を描いています。いかにも真面目そうに両手を足に添え、爪先を立てながら遊女の言うことを聞いている中腰の禿と、遊女の語りかける反り気味の体が程よく支え合い、安定した構図になっています。 -
禿を呼んでひそひそと耳打ちする遊女。 -
両手を足に添え、爪先を立てながら遊女の言うことを聞いている中腰の禿。
商品サイズのご案内
摺られております。
専用額の大きさは横44cm×縦37cmとなっております。
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制作動画のご紹介
専用額のご案内
浮世版画にぴったりな専用額をご用意しました。
シックな漆塗風の木製枠は淡い色合いの浮世絵を引き立て、
和洋問わずお部屋に彩りを与えてくれます。
アクリル仕様は紫外線から大切な作品を守ります。
アクリル仕様は耐久性があり、割れにくく、紫外線から作品を守るUVカット効果を施しております。
輸送に長時間かかる海外への発送などにも最適です。御用途によってお選びくださいませ。
お届け後すぐに飾れます。
額装を施すことによって、お届け後お気に入りの場所にすぐに飾っていただけます。
心を込めたプレゼントを贈られた方も開封後すぐに飾ってお楽しみ頂けます。
喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)
宝暦10年(1760)~嘉永2年(1849)
19歳の時、当時の似顔絵役者絵の第一人者だった勝川春章に弟子入りし、翌年、の画名で浮世絵界にデビューしました。師の亡くなったあと、北斎は勝川派から離れ、京の琳派の流れをくむ俵屋宗理の名を継ぎ、町絵師として活動を始めました。宗理として3年ほど活動し、北斎と名乗りはじめたのは38歳の頃。40代後半に読本の挿絵の斬新な表現が評判となり、50代になると門人の数も増え、葛飾派として一派を作り上げるまでになります。そして北斎の名を不動のものとした『富嶽三十六景』を手がけたのは、70歳を過ぎてからでした。90歳の頃、「あと10年、いや5年あったら本当の画工になれるのに」という強烈な言葉を残しています。
歌麿名作拾遺集 喜多川歌麿
歌麿の代表作「高名美人六家撰」の作品をも含む「歌麿名作拾遺集」です。歌麿は多種多様な作品を残しましたが、言うなればその肩書きは女絵師、あるいは美人画家といわれます。度々の弾圧や制約にもめげず、果敢に彼の信じるところの女絵を描き続けました。女性を正面から見つめ、生身の生活ぶり、肉体、心を描く、その洞察力は鋭いものがありました。歌麿の全作品のうち約三分の一は、吉原と遊女を画題としていますが、町家の母子の情愛や評判の茶屋娘らを描くなどの画域を広めています。浮世絵美人画の巨峰の上に立つ歌麿の30作品です。