暑い暑いと言っている間に7月が終わり、
えっ、もう8月!?
今回の『アート大好きカエル青野カエル的解釈の北斎・富嶽三十六景の旅』は
朝焼けの中を出発する人々を描いた作品です。
見ていると不思議に元気が出る、前向きになれる!と
ジワジワと人気アップの作品です。
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北斎 富嶽三十六景「甲州伊沢暁(こうしゅういさわのあかつき)」
五街道の一つ、甲州街道にある石和宿の早朝を描いた作品です。
旅人たちは皆、画面右方向に向かって進んで行くようです。
右方向、つまり甲府盆地を西に行くと、甲府城があり、信州諏訪方面へ、
身延山参詣の道へと別れていきます。
皆さん、どちらへの旅なのでしょうか。
何とも旅情をそそる一場面ですね。
構図を見てみると、近景の宿場、中景の笛吹川、遠景の富士山と
きれいに三分割して配置しています。
さらに下三分の一を斜めに二等分する線が、宿場の街道筋に一致します。
いつもながら、計算しつくされた、安定感のある美しい構図だと思います。
で、す、が、実際には見えないんだよなぁ、富士山。
御坂山地が邪魔をして、よほど高い所に登らないと見えないのです。
一番近くの高台は、石和宿のだいぶ北にある大蔵経寺山ですが、
その山に登っても頭がチョロッと望めるくらいです。
甲府盆地の東部からは、あんな風に稜線まで見えることは決してない。
そして仮に大蔵経寺山から描いたとすれば、今度は遠すぎて宿場も川も見えない。
そうです、北斎先生が時々なさるデフォルメの中の
秘儀「見えないものを描くの法」です。
この秘儀は「甲州石班沢」でも繰り出されています。
甲州あるあるです。
決して、ツッコんではいけません。
(「甲州石班沢」についてのカエル的解釈は後日公開しますね)
いいんです。
頭の先っちょだけ描いたって美しくないでしょ。
御坂山地をあの霞の中にモヤモヤっとすれば
心の目には美しい富士山が見えるのです。
正確無比なデッサン力で、建物や人物を描いていながら
一方では見えないが確かにそこにある富士を想像力で描き出す。
画狂 葛飾北斎にしか出来ない秘儀だと思います。
富嶽三十六景は実際には46図ありますが
絵のタイトルに注目してみると、少し不可解なものが何図かあります。
「甲州伊沢暁」もそのうちの一つ、漢字が違います。
「伊沢」じゃなくて「石和」です。
甲州でいえば、「石班澤」は「鰍沢」だし、「三坂水面」は「御坂峠」が本当です。
この3図は、いずれも実景とは異なる絵だという共通点があります。
間違えているのではなく、意図的に変えているのではないでしょうか。
北斎は、他の絵でもしばしば美しさや面白さを優先して、
わざと縮尺を変えて強調したり、ちょっとだけ大袈裟に描いたりしています。
そもそも富士山のフォルムが、実際よりシュッとしているのが分かりやすい例です。
観賞する側は、デッサンが狂ってるとか大きさが違うなんて、
野暮なことは言わずに楽しむ、それが「富嶽三十六景」の作法なのです。
それでも、さすがに余りにも実景から遠い場合は、
北斎さん、ちゃんと「これは実際の風景とは異なります。」という注意を促してくれます。
それこそが、違和感のあるタイトルではないでしょうか。
わたし的には「石和宿」ってこんな印象なんだけど、ただし実際にはない景色ですよ。
「石和」じゃなくて「伊沢」です、というふうにタイトルに明記する。
これが北斎さんなりのルールなのではないかと、カエルは考えました。
本当のところはどうなんでしょう、北斎先生。
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北斎先生、ほんとにいつも私たちを楽しませてくれますね、
カエルの旅、次回もどうぞお楽しみに!