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ほんの一瞬の表情を描く、歌麿の美人画

喜多川歌麿が北川豊春として22才でデビューした当時は、
黄表紙や芝居絵などを描いていました。

「美人画の歌麿」になったのは
江戸の大プロデューサー、蔦屋重三郎との出会いがあったからです。

歌麿28才、蔦屋30才のとき、
意外と年が近かったのですね。

例によって未知の才能を見抜いた蔦重は
歌麿を居候させて面倒を見るのはもちろん、
狂歌のサロンや遊郭にも連れて歩いたのでしょう。
あまたの美女を身近に観察することで、
今までの美人画にはない生き生きとした
女性像が生まれたのだと思われます。

鈴木春信や鳥居清長のポーズをきめたマネキンのような美人画と違って、
歌麿の美人たちは寝転んで本を読んだり、
1229-1
「教訓親の目鑑 理口者」

ラブレターを前に物思いにふけったり、
1229-2
「十八歳の難波屋おきた」

日常の何気ない場面を切り取った
生身の女性として描かれています。

その時代の大きな波であった、
寛政の改革も歌麿の美人画に影響を与えたのかもしれません。

皮肉なことに歌麿が美人画に我が道を見出した時は、
松平定信による綱紀粛正の嵐が吹き荒れた時期と見事に一致します。

呉服屋などと組んで最新ファッションの広告媒体とされていた美人画に、
質素倹約の改革が待ったをかければ、
「着物描かなければいいんでしょう」とばかりに顔のアップ、
大首絵を発表する歌麿。

華美なもの、高価なものを禁止されれば、
背景を無くして色数を抑えて価格も抑え、
「ほら、安いし派手じゃないでしょ」。

人物の名前を入れたらダメと言われて、判じ絵で暗号化
これがまた流行ってしまうなど、
とにかく制約があればあるほど燃えるのが歌麿さんなのです。

大首絵で人物の表情がメインテーマになると、
歌麿のするどい観察眼の本領発揮です。

ただ綺麗なだけでなく、モデルの性格や思い、
内面から滲み出る艶まで描いているようです。

また色数を抑える代わりに様々な技法を工夫し
リアルな質感や量感を模索しました。

背景を「雲母摺(きらずり)」や「黄つぶし」で
塗りつぶすことで人物がより際立ち、
洗練された印象になりました。

「無線摺」で輪郭線を描かずに色だけで摺ったり、
墨でなく朱で輪郭を描く「朱線」を用いて
柔らかな肌の質感を表現しました。

彫りや摺りの技術も手伝って、美人の条件となる繊細な「毛割」や、
紗や絽などの透き通った生地の再現を可能にする「ごま摺」などを駆使し、
今までの美人画とは一線を画す
歌麿にしか描けない美人画を確立していきました。

余談ですが、
歌麿の描く美人画を見てみると当時の着物の着方って、
現代の着方と全く違いますよね。
キチンとしてないというか、
着崩す感じがカッコいい!と思ってしまうのは私だけでしょうか。