岩下書店 | 復刻版浮世絵木版画専門店
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北斎さん、漢字を間違えた? いやいや、意図的か?

今回とり上げるのは

北斎さんが漢字を間違えたの? と物議を呼んだアノ作品です。

真実はいかに。

さぁ、

『アート大好き青野カエル的解釈の北斎・富嶽三十六景の旅』へ、ご一緒に!

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いい鶴です。

釧路湿原にタンチョウを、鹿児島県出水に越冬の群鶴を見に出かけた、
鶴好きのカエルが言うのですから間違いない。
さすがは北斎先生、素晴らしい鶴を描く。(上から目線ガエル)
鶴のポーズも自然で、表情豊かです。

江戸時代には関東にも鶴がいたと聞くと驚きですが、
徳川家の鷹狩りの獲物として色々なところで餌付けしていたそうです。
つまり江戸時代には鶴を捕って、食べていたのですね。

もちろん庶民の口には入りません。
鶴御成(つるおなり)といって年中行事として、
天皇家に献上していたそうです。

で、お吸い物にしてお正月の縁起物としてお召しになったとか。
タンチョウじゃなく、黒い羽根の方のナベヅルを食べていたようです。
あんまり美味しいものではないらしいので、良い子は捕ってはいけませんよ。
打ち首ですよ。

梅沢は東海道の大磯宿と小田原宿の間にある、
二宮にあった「立場」(休憩所)です。
大磯、小田原間は他の宿場間よりも距離があったので、
ちょうど中間にあった梅沢の立場は、
宿場町と変わらない賑わいを見せていました。

富士山の手前にある、可愛らしい丸い山は
標高870mの「矢倉岳」です。
例によって、地図上でロケ地を探してみましたよ。

今回は矢倉岳の位置から見て、
おそらく梅沢の先の国府津(こうづ)あたりから、
「曽我道」を北上して、中河原まで入った曽我梅林か、
その上にある瑞雲寺近辺の高台からではないかと睨んでおります。
(今で言うと、国道72号を北上、中河原配水池上からの眺めなんてピッタリ。)

山の見え方からして、いい線いっているとは思うのですが、
梅林の中や丘の上で鶴が群れていたのかというと疑問です。
梅林と酒匂川までの間は江戸時代、田んぼが広がっていたようなので、
鶴もいたかもしれませんね。

さぁ、本題。

タイトルには「相州梅澤左」と読めます。
「左」は「庄」の間違いだとされていますが、
北斎さんの場合、意図があってワザと変なタイトルを付ける時があると、
カエルは常々妄想しているのです。

「相州梅沢庄」は、梅沢の立場(たてば)からはだいぶ離れたところの、
名も無き水辺の風景に鶴が遊ぶ之図、といった印象を受ける絵です。

もっと言ってしまえば、藍摺りの色合いと
すやり霞の効果で、まるで天上世界のような、
この世ならぬ雰囲気まで感じさせる絵だと思うのです。

子抱き富士のような矢倉岳の珍しい山容に絵心を刺激され、
近くに遊ぶ鶴を見たのか、実景と関係なく絵画としての構成によって
描いたものなのではないか。

よって、梅沢の立場の左(西)の方で描いたけど、
実際にはない場所ですよ、心象風景ですよ、悪しからず、
という意図を持って「梅澤左」という
曖昧な不思議なタイトルを付けたのかな、などと妄想しているのです。

「二宮庄」とは言ったみたいですが、
「梅沢」はいくつかの村を合わせた里称みたいですし、
当時の道標が東西南北ではなく、
右左で書かれていたのも思い当たる節ではあるのですが。

ホントのところ、どうなんでしょう?

ねぇ北斎さん。


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カエルの旅、次回もお楽しみに!