先日、展示会初日に来てくれた
渡辺くんから原稿が届きました。
「そうなんだ!」と読んで納得、
渡辺くんの原稿は目の付け所が面白く、
家紋の研究をする彼ならではの視点が冴えています。
ではどうぞ!
↓
誰しも、浮世絵といえばこの絵を一度は見たことがあると思います。
三代目大谷鬼次を描いたこの役者絵は、
活動期間わずか十ヶ月、
そして忽然と姿を消した謎の人気絵師・東洲斎写楽の技量をよく示した力作です。
大谷鬼次(おおたに おにじ)は五代続いた歌舞伎の名跡で、
初代鬼次は江戸時代中期の享保二年に生まれました。
初代大谷広次の門下として役者の世界に入り、
はじめ大谷文蔵、坂東又太郎と名を変え、
27歳(数え年)のときに『大谷鬼次』を名乗りました。
本作「三世大谷鬼次の奴江戸兵衛(さんせい おおたに おにじのやっこえどべえ)」の羽織には、
大谷鬼次の紋である『丸十に鬼の字』があります。
本来、家紋ではこのような丸輪の中に十字を描いたものを、
馬具に由来する『丸に轡(くつわ)』と呼ぶことが多いのですが、
歌舞伎の大谷家では『丸十』と代々呼称しています。
歌舞伎の大谷家のはじまりは、
江戸時代初期に活躍した役者・初代大谷広右衛門です。
彼は『丸十』の紋を用い、これは大谷各派にも受け継がれました。
鬼次の場合も同様です。
ただ鬼次は、
紋の中央に名の一字「鬼」を据えることで、
独自性を表現しています。
これは他の大谷家でも見受けられ、
大谷徳次であれば「徳」の字が十文字のまんなかにあり、
本家の紋に憚ってアレンジを加えるという、
家紋の使い方としてよく見られる現象です。
ことに歌舞伎役者の場合、門人が増えて分派すれば、
自ずと役者の名も紋も増えるわけで、
それぞれがそれぞれの個性を出すためにも、
家紋は大事な役割を担っていました。
ではなぜ、大谷家では『丸十』紋を使っていたのでしょうか。
十字や×印などの、直線が交錯した模様には、
古くから魔除けの意味があるとされてきました。
大名の島津家や丹羽家が家紋としているのは、
そういう意味があるからとも云われています。
島津家では時代が下って『丸』を付けるようになり、
大谷家と同じ形の紋となったのですが、
武士らしさを強調してか『丸に轡(もしくは十字轡)』と
呼ぶことにこだわっています。
歌舞伎役者の紋は複雑な図柄よりも、
市川家の『三升』、
片岡仁左衛門の『丸に二つ引両』、
中村吉右衛門の『揚羽蝶』など、
シンプルな形のものが多く、
また既存の紋をデフォルメするなどのアレンジを加え、
人々の人気が活動の励みになる商売ゆえに、
意図的に人の記憶に残りやすい図柄にしたとも考えられます。
大谷家の『丸十』も、
そうして生まれた役者紋かもしれません。