お待たせいたしました!
家紋研究家「渡辺くん」の記事です。
今回も「家紋」をテーマに
おぉなるほど!
と頷くお話満載です!
ではでは行きます!
高名美人六歌撰とは
「有名な六人の美女」という意味で、
描かれた寛政年間に、江戸で美女と有名だった
女性六人をモデルとした作品群です。
美人画を得意とした喜多川歌麿らしい画題です。
富本豊雛は吉原の遊女で、
浄瑠璃・富本節の師匠もしていました。
豊雛の着物には、
襟に梅の文様、そして梅の家紋が白く描かれています。
この紋は『向こう梅』と呼ばれるものです。
「向こう」とは家紋の表現手法のひとつで、
真正面から見た形を捉えたものを指します。
花を象ったものであれば蘂を強調し、
動物であれば正面から見た顔などを描きます。
デザインの元になったモノに
写実的に似せることができる手法です。
梅紋の誕生には、
平安時代の貴族である菅原道真の存在が大きく関わっています。
道真は死後に怨霊となって祟りをなし、
天神として祀られ、学問の神として広くその名が知られるようになりました。
道真は梅の花を愛し、和歌にも詠んだほどでした。
そこから道真を祀る神社では、
神社の紋章を梅に定め、それが梅紋の始まりといわれています。
家紋の誕生は道真没後のことなので、
道真自身が梅紋を用いたことはもちろんないのですが、
道真を先祖に持つ家では、
その証として梅紋を使うことが増え、
梅紋と道真の関係性はより深まっていきました。
たとえば加賀百万石の大大名である前田家も、
先祖に菅原道真を持つことを理由に梅紋を使用しています。
また前田家では『加賀梅鉢』という固有の紋を用い、独自性を見せています。
梅紋には大別して、写実的な『梅花紋』、
独特なデザインの『梅鉢紋』があります。
『梅鉢紋』の中央の星には小さな剣が生えていて、
この剣がない『梅鉢紋』は『星梅鉢』と呼ばれ、
これは寛政の改革を主導した老中・松平定信の家紋です。
定信は久松松平家の出身で、
徳川将軍家の親戚である松平一門は源氏を称していますが、
久松家のみは菅原氏の流れを汲むので、
その証として梅紋を使っているのです。