最近、短めの文章が続いたので
ここでガッツリいきますね!
さぁ、本日は
写楽のお話です!
東洲斎写楽が今これほどまでに人気があるのは、
ドイツの研究者ユリウス・クルトさんのおかげです。
1910年(明治43年)に「Sharaku」という著作の中で、
レンブラント、ベラスケスと並ぶ
「世界3大肖像画家」の一人として紹介したことで、
国内で忘れられていた写楽が100年ぶりに再評価され始めたのです。
大正時代から写楽の研究が盛んになると、
わからないことだらけ、謎だらけ。
生没年不詳、本名どころかどこの誰かも、
いまだにはっきりとはわかっていません!
現存する版画は140種、500枚程度で国内には
100枚ほどしかないといわれています。
その全ての出版元はあの蔦屋重三郎の耕書堂、
1794年(寛政6年)の5月から翌年の2月までの
わずか10ヶ月の間に摺られたものだといいます。
役者絵を描ける画家を探していた蔦重にとって、
写楽は期待の新人でした。
代表作はデビュー作でもある28枚の役者大首絵です。
大判、黒雲母摺(くろきらずり)で
役者の個性を誇張したインパクト大の似顔絵は、
今見ても斬新で他には見られない画風といっていいでしょう。
黒雲母摺とは黒地に雲母の粉をまぶしたもので、
摺りたてはギラギラと怪しく黒光りしていたのではないでしょうか。
きらびやかで目新しいデザインの役者絵は、
さぞかし人気があったのではないかと思われますが、
実際はどうだったのでしょう。
江戸庶民の最大の娯楽であったのが歌舞伎です。
役者はスターで、アイドル、ファッションリーダー。
役者絵はブロマイドであり、描かれた着物の色や役者文様といわれる柄を
オシャレの参考にするための最新流行情報としての役割が求められていました。
写楽と同時期に「役者舞台姿絵」を売り出した歌川豊国の絵は、
同じく顔の個性を似せながらも、役者が見栄をきったところの全身像を美しく、
かっこよく描いて大人気を博したそうです。
一方で写楽の大首絵は特徴を捉えすぎるあまり欠点まで忠実に再現していて、
本物より本物っぽいグロテスクなまでにリアルなものでした。
特に女形は悲惨です。
美貌で人気だった、三世瀬川菊之丞などは完全に女装したオジサンです。
当然ながらファンにも役者本人にも不評だったようです。
実際、大首絵のシリーズは続かず、
値の張る大判から細判になり雲母摺から黄つぶしになり、
ついには武者絵や相撲絵など描かせたがヒットはならず、
10ヶ月でお払い箱になってしまったというのが本当のところではないでしょうか。
浮世絵は作家が作り出す美術品ではなく、
どれだけ売れるかが勝負の商品でした。
その点でリアリズムすぎる役者絵に対する
大衆の受けは今一つだったのかもしれません。
しかし
当時のプロの浮世絵師たちは、あの絵を見て何を思ったのでしょう。
大衆受けするきれいな絵を仕事と割り切り描いていた画家たちは、
写楽の強烈な個性に衝撃を受けたのではないでしょうか。
人間の内面、本質まで描いたような肖像画が
後世に与えた影響は小さくないように思われます。
結局は蔦重の見込んだ写楽の才能は本物でした。
謎の絵師、東洲斎写楽は100年以上たって、
今ようやく優れた芸術家としての正当な評価を受けることになったのです。