なぜか昔からカエルの造形に惹かれ、
浮世絵をはじめ絵画が大好きな青野カエルさんコラムです。
カエルさんの江戸時代にタイムスリップしたかのような
生き生きとした描写、話の展開はとっても読み応えがあります。
どうぞ春の心地よさにとろけるようにのんびり読んでくださいね。
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今でこそ浮世絵は美術館に飾られ、
名のある絵師のものには何千万円という値が付きますが、
江戸時代の人たちにとって浮世絵とはどんな存在だったのでしょう。
浮世絵には、肉筆画と版画があります。
肉筆画の一点物の注文品などはお値段お高めだったのでしょうが、
多色刷り版画の錦絵は大量生産が可能になったため
安価で手に入るようになっていきました。
どのくらいのお値段だったのか?
山東京伝の黄表紙「江戸自慢名産杖」によると、
二八一六で役者絵二枚、二九の一八で草紙が二冊、四五の二十なら大にしき一枚、
だそうです。
細判といって細長い小さめの役者絵が2枚で16文。
二八そばなんて言いまして、
お蕎麦が一杯16文で売っていたそうで今のお金にすると、320円くらい。
大にしき、つまり大判(39cm×27cm)の錦絵は20文だから、400円くらい。
ワンコインでおつりがくる、とってもリーズナブルな価格です。
ではその浮世絵を、江戸の人たちはどのように楽しんでいたのでしょう?
役者絵、美人画の大首絵あたりは気軽には近づけないスターのブロマイドとして、
手元でデレデレと眺めたり、胸に掻き抱いたりしていたのかもしれませんよ。
相撲絵などは野球カードのように集めている人もいたのでしょうね。
広告媒体としての機能もあって、
呉服屋や化粧品メーカーと人気役者がタイアップした錦絵や、
風景画には大店の暖簾が背景にあったり、
さりげなく商品名が書き込まれているものもあります。
広重の東海道五十三次などは見て旅情を楽しむだけでなく、
旅行のガイドブックとしても使えます。
(↑東海道五十三次 見付)
見付の天竜川は船が出るけど、
府中の安倍川はおんぶで渡るのかぁ、とか。
(↑東海道五十三次 府中)
(↑東海道五十三次 鳴海 名物有松絞)
鳴海の宿に寄るんだろう、名物だって!絞り染めの反物買ってきておくれよ、とかね。
浮世絵には他にも玩具絵という子供向けのものもあって、
町の絵草子屋に本や錦絵などと一緒に売っていました。
玩具絵(おもちゃえ)は、双六や福笑い、めんこ、千代紙などの
色々な種類があったようです。
小さな子がおこづかいを持って、
色鮮やかな紙のおもちゃを一生懸命選んでいる様子も想像できますね。
式亭三馬の「浮世風呂」には、草双紙の絵師は豊国がいいとか国貞もうまいとか、
評論家気取りの10才くらいの男の子が出てきます。
大人も子供も皆が浮世絵に夢中だったようです。
江戸には絵師が2000人以上いたとも言われていますが、
目の肥えた江戸っ子はそれぞれに贔屓の絵師がいたのかもしれませんね。
新作をいち早く手に入れて自慢したり、シリーズ物のコンプリートを目指したり、
楽しみ方も色々だったかもしれません。