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歌麿の美人画から、お江戸のモードを知る

江戸の町に生きる女性たちの
活気が伝わってくる、
青野カエルさんレポートいきますね!

喜多川歌麿は「青楼画家」と
あだ名される美人画の第一人者ですが、
モデルは吉原のお姐さんだけではありません。
町娘や芸者や母子像などの綺麗なお嬢さん、
お母さんたちもたくさん描いています。

あらゆる階層の幅広い年齢層の江戸美人を
知り尽くしていたのが歌麿です。
ですから、お江戸のモードを知るには、
歌麿の美人画を見るのがよろしいかと存じます。

歌麿が美人画を描いていた時期は
江戸時代の中期、主に寛政の頃。

女性の髪形やメークは、
年齢や結婚、出産、職業などの社会的な立場によって
決まりのようなものがありました。

分かりやすいのが未婚、既婚の区別です。


(高名美人六歌撰 難波屋 おきた)
未婚の娘さんのヘアスタイルは島田髷(しまだまげ)が多く、
髷を飾る鹿の子なども10代の若いうちはピンクや赤で、
お年頃になってくると青系統の落ち着いた色味になっています。
既婚者は丸髷(まるまげ)に結うことが多かったようです。

結婚が決まるとお歯黒にし、
出産した人は眉毛を剃るのが普通だったとか。
絶対にいやだー、一生独身でいいわー、と思うのは私が現代の人だから。
歯が真っ黒なのは貞女の証、眉がなくって一人前、だったのです。

「当時三美人」のうちの一人、
高島屋のおひさが「高名美人六家撰」で
眉をそり落としているのを見たときは、
「あの、おひさちゃんがもうお母さんかぁ」
と感慨ひとしおの江戸っ子も多くいたことでしょう。

とは言え厳格な決まりではなく、
未婚者でもある程度の年齢になったら
お歯黒にしていたそうで、
大人の女としては
いつまでも白い歯でいる方が
恥ずかしいことだったのかもしれません。

ところで、
歌麿の美人画の女性は
髪のボリュームがすごいと思いませんか?

歌麿が誇張して描いたわけではなく、
実際に段々と巨大化していった髷が、
寛政の終わりごろにピークを迎えていたのです。

側頭部に張り出した「灯篭鬢」(とうろうびん)も大きくなって、
当時の女の人は頭髪のケアがさぞや大変だったと思います。

髪形をキープするために、
寝る時は箱枕を首に当てて崩れないように気を遣い、
シャンプーは月に1度か2度、半日がかりの大仕事。

大きな髷のために、
髪の長さも重さも相当なものだったでしょうから、
頭痛、肩こりなんかに悩む人もいたのではないかなと、
余計な心配もしてしまいます。


(教訓親の目鑑 ばくれん)
歌麿の美人画に、
鬢に白いひも状の布を通して縛っている浮世絵がたまにありますが、
きっとうまく決まった灯篭鬢を崩さないための工夫なのでしょう。
今で言うと、
人の目のないところでカーラーを巻いている女子の私生活を
のぞき見しているような後ろめたさが、
ちょっとドキドキしたのでしょうか。

(十八歳の難波屋おきた)
当時の女性の苦労がしのばれますが、
モデルとしては描きがいのある髪形だったと思います。

絵師も彫師も摺師も、
灯篭鬢のスケスケに大いに萌えて、
腕の見せ所とばかりに張り切ったことでしょう。