寛政六年八月、桐座上演の二番目狂言、近松の梅川忠兵衛の「冥途の飛脚」を書き替えた「四方錦故郷旅路」の新口村の段を描いた作品です。
恋ゆえに金につまって封印切りの大罪を犯してしまった亀屋忠兵衛は、恋人傾城梅川と死出の旅に出ます。最後の一月、実父新口村の孫右衛門に会いたいと親里を訪ねます。草履の鼻緒を直したり、何くれとない親切に、これが息子に大罪を犯させた梅川と知り、追っ手を逃れる抜け道をそれとなく教え、二人を落としてやるという情味豊かな場面描写なのです。富三郎扮する梅川の姿に舅につくす心情が、こよりをよる指先にまでにじみ出て、そこには遊女でいながら遊女らしくない、女性としての美しさがこと細かに見られます。
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孫右衛門の子を想う複雑な表情がにじみ出ています -
つくす心情が、こよりをよる指先にまでにじみ出ています。 -
役者中山富三郎を表す家紋は「丸に五三桐」です。
東洲斎写楽を見出したのは元祖出版プロデューサー蔦屋重三郎でした。
商品サイズのご案内
摺られております。
専用額の大きさは横44cm×縦37cmとなっております。
サイズについての詳細はこちらをご覧ください。
制作動画のご紹介
専用額のご案内
浮世版画にぴったりな専用額をご用意しました。
シックな漆塗風の木製枠は淡い色合いの浮世絵を引き立て、
和洋問わずお部屋に彩りを与えてくれます。
アクリル仕様は紫外線から大切な作品を守ります。
アクリル仕様は耐久性があり、割れにくく、紫外線から作品を守るUVカット効果を施しております。
輸送に長時間かかる海外への発送などにも最適です。御用途によってお選びくださいませ。
お届け後すぐに飾れます。
額装を施すことによって、お届け後お気に入りの場所にすぐに飾っていただけます。
心を込めたプレゼントを贈られた方も開封後すぐに飾ってお楽しみ頂けます。
東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)
生没年不詳
寛政6年(1794)、浮世絵界に彗星のように登場し、わずか10ヶ月の作家活動の間に140数点もの浮世絵を世に送り出すと忽然と姿を消しました。写楽は大判のしかも背景を高価な黒雲母摺という尋常ならぬデビューを果たしました。版元の蔦屋重三郎は、歌麿が重三郎の専属を離れたのちに大々的に写楽を売り出しましたが、次第に大判が少なくなっていきます。その理由として、写楽の人気役者であろうと美化せずに、ありのままを描きとる筆致は、役者ファンをはじめ当時の人々の好みに合わなかったからなのかもしれません。しかし、どれも躍動感にあふれた役者絵は見る者に強烈なインパクトを与え、海外でも高い評価を得ています
東洲斎写楽選 東洲斎写楽
写楽の作品が重んじられる理由のひとつに、その遺品が少ないということにあります。また残念ながら写楽の芸術を理解し、認識したのは日本ではなく海外が先でした。日本人が彼の作品を認めない間に、多くの作品は海外に流れ、その芸術が絶賛されたのです。昭和18年、海外から持ち帰った松方コレクションが博物館に入り、その数も増した程度であり、こうした限られた少数の作品を復刻したのがこの40作品で、いずれも写楽の大傑作です。