愉しげに潮干狩をする人々を描いた「登戸浦」。今は工業地帯になってしまいましたが、登戸は干葉県千葉市の海岸になります。ここは潮干狩の名所で、江戸からも行楽の人々が多かったようです。また、築地への荷を運ぶ湊の要所であり、当時の海上輸送の拠点でもありました。富士山はまだ春雪につつまれて彼方に遠く美しく見えます。潮干狩の人々のそれぞれの動作が面白く、いかにも愉しげです。海岸の丘陵の上に登戸神社があり、海中の鳥居はこの神社のもので、9月5日の祭礼には神社の神輿が海に入ります。
潮干狩りをする人々から愉しげな雰囲気が伝わってきます。
潮干狩りする母親たちの周りで遊ぶ子供たち。この風景はいつの時代も変わりませんね。
鳥居越しに見える富士山。シンプルに描きながらもさすがの存在感です。
摺り師の絶妙なぼかしの技術で表現された画の際の空は先に広がる奥行きを感じます。
商品サイズのご案内
摺られております。
専用額の大きさは横44cm×縦37cmとなっております。サイズについての詳細はこちらをご覧ください。
制作動画のご紹介
専用額のご案内
浮世版画にぴったりな専用額をご用意しました。シックな漆塗風の木製枠は淡い色合いの浮世絵を引き立て、
和洋問わずお部屋に彩りを与えてくれます。
アクリル仕様は紫外線から大切な作品を守ります。
アクリル仕様は耐久性があり、割れにくく、紫外線から作品を守るUVカット効果を施しております。
輸送に長時間かかる海外への発送などにも最適です。御用途によってお選びくださいませ。
お届け後すぐに飾れます。
額装を施すことによって、お届け後お気に入りの場所にすぐに飾っていただけます。
心を込めたプレゼントを贈られた方も開封後すぐに飾ってお楽しみ頂けます。
葛飾北斎(かつしか ほくさい)
宝暦10年(1760)~嘉永2年(1849)
19歳の時、当時の似顔絵役者絵の第一人者だった勝川春章に弟子入りし、翌年、の画名で浮世絵界にデビューしました。師の亡くなったあと、北斎は勝川派から離れ、京の琳派の流れをくむ俵屋宗理の名を継ぎ、町絵師として活動を始めました。宗理として3年ほど活動し、北斎と名乗りはじめたのは38歳の頃。40代後半に読本の挿絵の斬新な表現が評判となり、50代になると門人の数も増え、葛飾派として一派を作り上げるまでになります。そして北斎の名を不動のものとした『富嶽三十六景』を手がけたのは、70歳を過ぎてからでした。90歳の頃、「あと10年、いや5年あったら本当の画工になれるのに」という強烈な言葉を残しています。
富嶽三十六景
題名のとおり、全図に富士山のある風景を描いたシリーズ物で、葛飾北斎の代表作にとどまらず、浮世絵風景画の代表作ともいわれています。はじめ、三十六図が刊行されましたが、好評のため十図が追加され、計四十六図が刊行されました。当初の三十六図を「表富士」、追加の十図を「裏富士」と呼びます。富士山への篤い信仰は今と変わらず人々の間にあり、当時、集団で富士山に参拝する「富士講」が盛んに行われるなど、こうした社会背景のなかで北斎は『富嶽三十六景』を描き、爆発的ヒットとなりました。