岩下書店 | 復刻版浮世絵木版画専門店
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渡辺くん節でいきます、『市川家の三升紋』のお話。

暖かくなったり、
寒さが戻ったり、
この時期はいつも以上に
体調管理をバッチリしたいものですね。

さて、

あの渡辺くんから原稿が来ました。
和文化を日常にしっかりと取り入れている
家紋研究家です。

では、いきますね!


東洲斎写楽〈市川蝦蔵の竹村定之進〉
今回は『市川家の三升紋』のお話です。

歌舞伎役者の紋で広く世に知られているのは、

↑市川家の三升紋でしょう。
四角い枠を三つ、大中小と規律よく配置したこの紋は、
見る人に強く印象を与え、
大衆の人気が生命線ともいえる歌舞伎の世界において、
これほど適した紋はなかったでしょう。

歌舞伎役者の市川家は、
海老蔵や團十郎といった名跡で知られていますが、
その本流は團十郎です。

本作〈市川蝦蔵の竹村定之進〉に描かれた役者・市川蝦蔵は、
蝦蔵を名乗る前は五代目團十郎でした。

市川家の三升紋は、初代團十郎が用いたことに始まります。
家紋とした理由には諸説あり、初代團十郎が初舞台を踏んだとき、
父の親友から三つの升を贈られ、それを記念にしたともいわれ、
また別の説では、演目『遊女論』で演じ、
当たり役となった不破伴左衛門の衣装にあった
稲妻の模様から転化させたともいわれています。

升紋は戦国時代から使用が見られ、
江戸時代になって世の中が安定すると、
発音が「増す」に通じることから商人たちが使うようになり、
やがて團十郎も家紋としました。

初代團十郎よりはじまった市川家は、
海老蔵、團蔵、猿之助など多くの名跡を生みました。

宗家である團十郎と、團十郎と縁が深い海老蔵は同じ三升紋を用いましたが、
すべての市川流派が三升紋を用いたわけではありません。

例えば、市川左團次の場合は三升紋の中心に小さな「左」の字を入れたりして本家との差別化をし、
或いは猿之助の「三つ猿」、羽左衛門の「根割橘」など、まったく別の紋を用いたりしました。
市川團蔵は、縦長の三升紋を用いています。
初代團蔵は初代團十郎の寵愛を受け、三升紋の使用も許されていましたが、
二代目團十郎とは仲が悪く、三升紋の使用を憚るよう團蔵に通告し、
腹を立てた團蔵は横一文字を引いた三升紋を新たに作って対抗しました。
のちに仲介人のおかげで両者は和解し、
團蔵はまた三升紋を使うようになりましたが、
團蔵はそれを縦長に作り変えました。
紋形を変えた理由は不明ですが、
三升紋は使うが二代目と同じのは嫌だという、
團蔵なりの意地であったのかもしれません。

渡辺くんの「家紋のお話」、いかがでしたか?
また次回をお楽しみに。