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北斎漫画は浮世絵の海外伝道師

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                (画像引用 wikipedia)

浮世絵好きの方なら良くご存知の作品『北斎漫画』。
その名の通り、葛飾北斎が描いた漫画ですが、
現代の漫画とは、ひと味違う作品だったのです。

漫画と聞くと現代のマンガをイメージし、
「北斎も連載漫画を描いたの??」
と思われてしまいそうですが、
もちろん現代の漫画とは異なるものでした。

北斎自身、「森羅万象(地球をふくめ宇宙のありとあらゆるもの)を
気の向くまま、筆が進むまま描いた」
というように様々なモチーフを1点1点スケッチして描いたもので、
その数は通算4,000以上の作品で構成されています。
現代漫画のようなストーリー仕立てではなく、
絵の手本として、むしろ作品集のようなものでした。

1814年(文化11年)、北斎が55歳の時に初編が出版。
当時、絵の手本として非常に好評となり、
北斎の没後1878年(明治11年)までに全十五編が
発行された大ベストセラーだったのです。

浮世絵や肉筆画の作品とは明らかに異なる『北斎漫画』。
当時、多忙で売れっ子の北斎がなぜこのような教本を作ったかというと、
それは
まさに“売れっ子”であった由縁。

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       (画像引用 小布施北斎館)

数多くの浮世絵の作品や読本の挿絵などで全国的に有名だった北斎。
その北斎の才能に惹かれ、全国各地に門人ができるようになりました。

現代であれば新幹線や飛行機に乗って
全国各地を行脚することができましたが、時は江戸時代。
とてもそのようなことをするのは難しい時代でした。

そこで、門人たちの手本になればと
生み出されたのが『北斎漫画』だったのです。

さて、それではなぜ『北斎漫画』が海外伝道師なの?
と疑問に思う方もいらっしゃるかと思います。

門人の教科書として使われていた作品がなぜ???

江戸時代後期の1830年代。
開国間近のこの時代から、
主にヨーロッパへの輸出が活発になってきました。

当時、日本の陶器がヨーロッパで受け入れられ、
数多く輸出されていたといいます。

割れ物を梱包する際、新聞紙や雑誌などを破いて丸め、
緩衝剤にすることがありますよね。

そう、もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
なんと『北斎漫画』が陶器を包む緩衝剤として使われ、
海を渡り、遥かヨーロッパにたどり着いたというわけなのです。

当時の北斎漫画は
今でいう書籍や雑誌のようなものだったので
緩衝剤として使われたのです。

緩衝剤としてシワクチャになった『北斎漫画』を
偶然にも見つけたフランスのエッチング画家フェリックス・ブラックモン。
彼は『北斎漫画』に衝撃を受け、ゴッホなど印象派の画家たちにその素晴らしさを伝えたと言われています。
『北斎漫画』は、ゴッホをはじめとした印象派画家のその後の作品に
多大なる影響を与えました。

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                                      (画像引用 wikipedia)

浮世絵が海外で愛されたのは皆さんご存知だと思いますが、
そのきっかけが、緩衝剤だったのは
なんとも微妙な気持ちですが・・。
つまりそのくらい当時の日本は
浮世絵が暮らしのなかに浸透していたというわけですよね。

また、きっかけは緩衝剤でしたが、
『北斎漫画』をはじめ浮世絵は、
印象派の名だたる画家たちのお手本として用いられたのです。

日本人の美意識って昔から世界レベルだったのですね。