みなさま、お久しぶりの北斎さん作品です!
その前にみなさまに謝ります。
以前にも富嶽三十六景の解説連載をしていたのですが、
諸事情云々がありまして、実に中途半端な数で終了をしておりました。
気がついていた方、いらっしゃいますか。
申し訳ありません。
しかしまた復活、です!
アート大好きカエル女史がみなさんを北斎ワールドへ誘います。
ホホォ〜、なにそれ、その推理!? おもしろ!!の連続です、さささまいりましょう!
ハイ、アート大好きカエルです。
遠江(とおとうみ)とは静岡県西部地方のことで、
この作品は、その山の中から東北東に見た富士山の姿を描いています。
ちなみにこちらは藍摺り10図のうちの一枚です。
目を引くのは画面を斜めに二分する、大きな角材。
同じ時期に描かれたであろう、藍摺りの「常州牛堀」と
大胆な構成が似ていますね。
でも「遠江山中」にはもうひとひねり。
焚火の煙が対角に流れて、角材の白とで逆さ富士のようにも見えます。
角材の上にいるのは、大鋸一丁で板を切り出す、木挽き職人。
「本所立川」にも登場しています。
おや?
この職人さん、手元ではなくて、あらぬ方向を見ていますね。
そういえば、下から木を切っている職人さんも、
首をそらして目の前の木をよけて、同じ方向を見ているような。
焚火の前の少年も、なんと、お母さんの背中の赤ちゃんまでもが、
空を見上げています。
そして、お母さんはその空を指差して、
のこぎりの目立てをしている人に何か言っています。
はて、不可思議な。
一体何が起こっているというのでしょう。
こうなってくると、カエルの妄想はもう止まりません!!
皆の目線と指差す方向をたどってみると、煙の流れる先、
富士山よりも少し東の方ですか。
一斉に同じ方を向いたということは、大きな音がしたのではないか???
東の空で大きな音?
謎は深まるばかり。
現代の人間が見てもピンとこないことでも、当時の江戸の人ならば、
「あぁ、あれね」みたいな事件やら風刺やらがあるのかもしれない、
と考え、カエルはドキドキしながら調べてみました。
「富嶽三十六景」が描かれたのは、北斎が為一と名乗っていた時代。
富嶽三十六景の刊行が1831年(天保2年)~1833年(天保4年)と
いわれていますので、それ以前に大きな音のする、
江戸っ子ならピンとくるトピックといえば何かしら!?
花火や雷程度ではトピックたりえないし、
火山の噴火は浅間山であったが、方向が違う。
おおお!
江戸時代の事件簿、「武江年表」で空、爆音をキーワードに調べてみると、
怪しいのがありましたよ!
西の方角に彗星出る。
酉の刻、北東より南へ光り物飛ぶ。
明六半時、大二尺余りの光り物飛ぶ、その響き雷のごとし。
などなど。
文化文政の26年間だけで10件ほど「光り物」「彗星」「石が落ちた」と
いった記述がありました。
これじゃない!?
なかでも「武江年表」だけでなく、
「甲子夜話」「藤岡屋日記」「猿著聞集」など多くの書物に記録された
「八王子隕石」は江戸っ子たちの話題をさらったようです。
1817年(文化14年)晴天未刻頃、
江戸市中雷鳴の如き響きして、光り物空中を飛ぶ
武州八王子横山宿の畑中に落たり、
長三尺幅七尺厚六寸程、燻りたる石也
「武江年表」には上の通り、90×210×18㎝の
巨大な隕石が八王子に落ちたと書かれています。
他にも度々、大きな音をたてて空中を飛ぶ謎の光りが、
記録に登場しています。
洒落っ気たっぷりの北斎先生、
この絵を見た人が気付いたら面白いなとでも思ったのでしょう。
最近巷で騒がれている怪しい光り物を、絵の外に飛ばして、
登場人物たちに見せたのではないかしら。
な〜んて、今回も妄想が過ぎましたか。
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カエルさんの妄想、めちゃくちゃ面白いですね!
また次回もお楽しみに!!