「オーイ、オーイ、アゴ!」
北斎は、三女の阿栄(おえい)を
こう呼んでいました。
いつも北斎が「オーイ!」と呼んでいたので
そのまま画号が「応為」(おうい)になったのだとか。
「オーイ、オーイ、アゴ!」
オーイはいいとして、
アゴ!?
自分の子供とはいえ、
女性に対して
なぜに「アゴ」などと呼んでいたかと申しますと
阿栄のアゴが出ていたのだそうです・・・。
↑ウィキペディアより画像引用
・・まぁ呼び方の話はこの辺にしましょう!
あの奇才天才の北斎が、
「自分の美人画は阿栄(応為のこと)には及ばない」と言ったとか。
それほど応為は美しい作品を描いたのです。
光と影、光と闇を自由自在に操るように描いた応為は
バロック期の画家レンブラント・ファン・レインにたとえられ、
『江戸のレンブラント』ともいわれています。
↑ウィキペディアより画像引用『フランス・バニング・コック隊長の市警団』
さて、その応為が描いた作品の中で
もっとも魅力的といわれる『吉原格子先之図』。
『吉原格子先之図』(よしわらこうしさきのず)では、
暗闇と光との対比により、
吉原の遊女とその格子の先が幻想的に美しく、
遊女の顔は眩く、覗きこむ庶民の羨望も表現されています。
私生活の応為は、画家と結婚をしましたが、
性格の強さからか
二人は「絵」が原因で離婚をしました。
その後応為は、北斎の元に戻るやいなや、
北斎は中風(脳卒中)で倒れてしまいます。
北斎の看病や生活のサポートを
応為はするのですが、
掃除や食事の支度などは一切行わず、
ゴミが増えると二人で引越し、
食事はいつもどこかで買っていたようです。
では応為のするサポートとは何かと申しますと
北斎が使う絵具の色を調合したり、
絵の一部を描いたりアシスタント的な作業のほか、
北斎の代筆も行っていたともいわれています。
応為と北斎は、お互い芸術三昧の日々を過ごしました。
北斎が死ぬ瞬間まで絵を描き続ける環境を応為は用意したのです。
↑ウィキペディアより画像引用/葛飾北斎『空満屋連和漢武勇合三番之内 大井子と樊噲』
これは葛飾北斎が描いた応為の画です。
酒樽をかかえる様子から
頼りになる姉さんであることが伝わってきますね。
北斎の死後8年経った頃、
応為は絵の仕事をするため出かけると言い残し、
そのまま家に帰ることはありませんでした。
応為が、どのような環境にいたのかは
謎です。
好きな絵を描くことはできたのでしょうか。
北斎のように
最後まで好きな絵を描いていたらいいなと
感じる方は多いでしょう。
最後に
昨年11月22日オープンした
すみだ北斎美術館の常設展示の北斎と阿栄のお人形を
撮影許可と公開許可をスタッフの方に確認いたしましたので
ご紹介します。
本当に・・・・・・まるで生きているようです・・・・・。
夢中になって絵を描く北斎、
そして北斎を見守る娘、応為。
父と娘の幸せな時間。
素敵ですね。