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芸術家、橋口五葉の美意識を探る その2

2月5日にアップした記事
「芸術家、橋口五葉の美意識を探る その1」の続きです。

30歳代になると、
以前から興味を持っていた浮世絵研究を本格的に始め、
雑誌「美術新報」や「新小説」に論文を発表します。

大正4年には浮世絵専門の研究雑誌「浮世絵」の創刊から携わり、
春信、北斎、広重、歌麿などを事細かく研究、解説し表紙絵も描いています。

五葉が浮世絵研究に邁進しているその時に版画化されたのが、「浴場の女」。

版元の渡辺庄三郎の求めに応じて下絵を提供したのですが、
刷り上がりには不満があったようです。

立ち上げたばかりの工房の職人さんとも、
版元である渡辺とも意思の疎通が上手く取れなかったのが原因と思われます。

「浴場の女」一作で渡辺版画店を離れた五葉は、
自らが監督指揮して、江戸初期からの名作浮世絵の復刻に力を注ぎます。

1917年(大正6年)から
「浮世風俗やまと錦絵」(全12巻240図)で
復刻版画を世に送り出しました。

浮世絵の変遷と歴史を体系化した国内初のもので、
次代の研究や復刻版制作のために重要な役割を果しています。

他にも「広重保永堂版東海道五十三次」(60図)
「歌麿筆浮世絵」(48図)など復刻の仕事は
五葉が亡くなるまで続けられました。

五葉が復刻版画に熱心に取り組んだのは、
一つにはこの時代、国内で顧みられなくなっていた浮世絵の海外流失を憂い、
名作だけでも再版して残そうとしたということ。
もう一つは自らの版画制作のため、
彫師、摺師の人選と、職人とのコミュニケーションの図り方を
確立するためだったと思われます。

版画の下絵のためにモデルを雇い、
3000点ともいわれる素描も行っています。
日本女性の美を描くには、
毛筆の細かいデリケートな線と柔らかな風合いの和紙を
用いた浮世絵こそが最適であると信じ、
伝統の技術と確かなデッサン力とで
五葉独自の新しい美人画を目指したのです。

「浴場の女」から3年という研究と準備の後、
1918年(大正7年)五葉38才の時、私家版の木版画を発表します。
風景画の「耶馬渓」と、大首絵の美人画「化粧の女」です。


「化粧の女」は
特大版の上質な和紙に日本画の顔料を使った雲母摺で、
最高度の職人技が生かされた、
五葉も納得の完成された芸術作品でした。

1920年(大正9年)には
書き溜めた下絵と構想を一気に作品に仕上げています。

美人画「髪梳ける女」「夏衣の女」など6点、
風景画3点、花鳥画1点など。

後に「五葉奇跡の大正9年」とよばれました。
というのも、その年の暮れに罹った流感がもとで、
翌大正10年の2月24日に
41才の若さで帰らぬ人となってしまったからです。

新版画作家としての新境地を開こうとしていた矢先の事で、
五葉の版画作品は、
没後下絵をもとに摺られたものも併せてわずか14点ほどです。

2回にわたり、芸術家橋口五葉の足跡をたどりました。
作品の素晴らしさはもちろんですが、
五葉の思いや生き様を知った後に
あらためて作品を見つめると
特別な気持ちになりますね。

摺師さんの工房で
「髪梳ける女」に出会った時の写真です。