金沢文庫 | 復刻版浮世絵木版画専門店
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絶対に一番になりたい、その気持ちが「錦絵」を生んだ!?

今日はひな祭り。

何か良いことが起きそうなワクワクした胸騒ぎ。

さて、二つ前のブログで

「浮世絵の元祖はいったい誰!?」を掲載しました。

今日はその続編です。

ゆっくりのんびり読んでいただけると嬉しいです。

テレビも写真もない時代、近くで見ることがかなわない噂の遊女や
人気役者を描いた浮世絵は飛ぶように売れました。

東国出身の菱川師宣の作り出す開放的で親しみやすい絵は
「菱川様の吾妻俤」(あずまおもかげ)と称され大変な人気になり、
江戸の出版業界は益々盛り上がっていきました。

初期の浮世絵は墨一色のモノクロで、「墨摺絵」(すみずりえ)といいます。
絵が一枚絵として安価に手に入るようになると、
やはりきれいな色が欲しくなるというもの。
版元は何とかお客のニーズに応えようと工夫します。

17世紀後半、
鉱物系の顔料でオレンジ色の丹を摺り上がった絵に筆で彩色した「丹絵」(たんえ)が始まりました。
現代まで続く歌舞伎画の元祖、鳥居清信の役者絵にも鮮やかな彩色が効果的に使われています。

18世紀になると紅花など植物性の明るい色で手彩色した「紅絵」(べにえ)がでてきます。
黄色や草色などもあり透明感のある優しい色合いが実現しました。

墨に膠(にかわ)を混ぜた光沢のある黒で帯や着物の柄などを彩色した「漆絵」(うるしえ)も
同時期にでて、さらに上から雲母の粉などを施し蒔絵風に見せる工夫もありました。

ここまでは全て、職人が一枚ずつ手で色を塗っていましたが、
1740年代に版による色摺りが登場します。
版木による3色から5色の多色摺り、「紅摺絵」(べにずりえ)です。
版木に「見当」という凸凹の印をつけて、
何度摺っても色がずれないようになったのが大発明だったのです。

いま浮世絵と言って思い浮かぶ、北斎や写楽などの版画とは思えないくらい鮮やかな多色刷りが出来たのは、
1765年(明和2年)の正月です。
なぜ正月かというと、その第一作目が明和2年のカレンダーだったからなのです。

当時、江戸のセレブだった旗本やお金持ちの商家の主などが集まって、
俳句や狂歌などの趣味のサークルを作っていたそうです。
そこでは毎年、絵入りのカレンダー「絵暦」の交換会をしていたのですが、
年々凝ったものになりその趣向を競い合うようになっていきました。

そんな中、絶対一番になりたいと張り切ったのが1500石取りの旗本、大久保忠信さん。
俳諧サークルの主催者で、俳号は巨川(きょせん)といいます。
美人画で人気の鈴木春信に『金に糸目を付けぬから皆が驚くような暦を作ってくれ』とお願いしました。

そこで、彫師、摺師の名人を集めた精鋭チームを結成し技術開発が始まりました。
何度摺り重ねても破れない上質な紙や中間色の表現できる顔料、
それに見合う彫り方、摺り方などを試行錯誤したのです。
出来上がった美しい絵暦は、皆が驚くこれまでにない見事な色彩。
フルカラー印刷の絵暦は「錦絵」(にしきえ)とよばれました。

当然ながら大評判となり、すぐに版元から巨川絵暦が重版され江戸中に広まりました。
巨川さんの趣味の道楽から生まれた多色刷版画は、
浮世絵に色彩革命を起こしたのでした。

ほ〜、なるほど〜。