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広重が「名所江戸百景」へ込めた気持ちを考えてみた

アートが大好きな青野カエルさん、
今回は広重の作品にフォーカスです!

*  *  *  *  *  *  *  *

歌川広重の最晩年、
亡くなる直前まで手掛けたシリーズが
あの有名な「名所江戸百景」です。

版元の魚屋栄吉(ととやえいきち)から、
目録と二代広重の補筆を合わせて
120枚の大揃いとして出版されました。

極端な遠近法や俯瞰、鳥瞰、
ズームアップなどを取り入れた斬新な構図。
ぼかしをはじめ、様々な摺りの技法を駆使した完成度の高さ。
広重の最高傑作であるとともに、
浮世絵版画の最終形態と言えるかも。

「名所江戸百景」が描かれたのは
1856年(安政3年)から1858年(安政5年)。
明治まであと10年、ペリーが浦賀にやって来て開国を迫っていた幕末の世です。
前年には江戸で死傷者1万人以上、
倒壊家屋1万戸以上の大地震があったばかりでした。
また震災の傷も癒えぬ翌年には台風の直撃に遭い、
暴風と高潮で震災以上の被害が出ました。

生粋の江戸っ子だった広重は、
どんな思いでふるさとの復興を見て、描いたのでしょう。

「名所江戸百景」は名所と言いながら、
地方の人が見たら「ここどこ?」というような
場所や描き方をしているものも多く見られます。

例えば「日本橋江戸ばし」などは、
橋の欄干の端っこと魚の入った桶が前面に描かれているだけ。

江戸土産だと地方の人がもらっても
「何ここ? 日本橋? 江戸橋?」という感じになりそうですが、
江戸っ子が見れば擬宝珠の形ですぐわかる。
「日本橋だぁ。俸手振りの桶ん中は初ガツオだな。待ち遠しいねぇ。」
橋のたもとの魚河岸の活気にまで思いをはせることが出来るのです。

そのような絵柄の多いことからも
「名所江戸百景」は元来のお土産用名所絵というよりは、
江戸っ子向けの商品だったのではないかと思われます。

大震災後の江戸の名所がどうなったのか知りたいという
ニーズに答えたジャーナリズム的側面があったのかもしれません。

しかし、広重は災害の傷跡をそのまま描くようなことはしませんでした。


「浅草金龍山」では、
地震で傾いた浅草寺五重塔の九輪は真っ直ぐに立っています。

台風で飛ばされた西本願寺の大屋根も
「鉄砲洲築地門跡」では健在です。
「神田紺屋町」では冬の風物詩、
手拭いのさらし干しがいつもと変わらぬ風情です。

「大丈夫。江戸はすぐに元通りになるさ。」と言っているみたいです。

「水道橋駿河台」ではこいのぼりが元気よく泳ぎ、
「市中繁栄七夕祭」では七夕飾りが町を彩ります。

江戸の町の人々の逞しく立ち上がる様子を描くことで、
広重もまたふるさと江戸の復興を後押ししたいと
考えたのではないでしょうか。

その後もインフルエンザやコレラの流行、
ペリー来航再び、と江戸にとっての災難は続き、
激動の幕末に残された「名所江戸百景」は
災害や近代化により様変わりしてゆく、
江戸の最後の風景を写したものになってしまいました。