アート大好き青野カエルさん、
今回も冴えてます!
ではではどうぞ!
北斎の富嶽三十六景の中でも
三大名作のうちの一つ「凱風快晴」は、
通称「赤富士」として世界中から親しまれています。
しかしこの赤富士は、
北斎の意図する富士とは全くの別物だったのをご存知でしょうか。
浮世絵版画は版元の注文に応じて絵師が下絵を描き、
最初の200枚は絵師の指示によって色やぼかし具合などを決めて摺ります。
これを初摺りといいます。
初摺りの後の作品は絵師の手を離れ、
版権を持つ版元が売れ行きや評判を見て、
構成や色数などを自由にアレンジしていくのが普通でした。
「凱風快晴」の初摺りと思われる版を見ると
全体的に色味が薄く、空の鰯雲もごく薄い水色で、
山頂部の濃い目のえんじ色から裾に向かって
薄い茶系のオレンジ色にグラデーションしていて、
全然赤くないのです。
神秘的な色合いで写実的に描かれた富士山は、
少し怖いくらいの荘厳さを感じさせます。
が、おめでたい感じはちっともしない。
絵画としてはもちろん素晴らしいと思うのですが、なんか地味。
今私たちになじみのある「赤富士」の強烈なインパクトと、
華やかな美しさは北斎オリジナルと言える初摺りの「凱風快晴」には見られないのです。
では、なぜ「凱風快晴」は、「赤富士」になったのでしょうか。
富嶽三十六景は、老舗地本問屋「西村永寿堂」から出版された大ヒットシリーズです。
特に「凱風快晴」は大人気で、山の稜線が摩耗するくらい大量に摺られた痕跡があるそうです。
摺師一人が一日に摺ることが出来る量、
200枚を1杯と数えて、10杯2000枚でベストセラーとされていました。
歌川広重の五十三次シリーズが50杯1万枚の大人気。
「凱風快晴」はそれ以上のヒット作で、
浮世絵の中で一番多く摺られた版画ではないかと言われています。
はたして、初摺りの茶色い富士山でそれだけの人気が出たかどうか。
恐らく今日の世界的な名声は、なかったのではないかと思われます。
これはもちろん下絵を描いた天才・葛飾北斎の功績ではあるものの、
よりインパクトのある「赤富士」を指示した、
版元「西村永寿堂」の西村屋与八のセンスによるところ大だと思うのであります。
浮世絵は絵師、彫師、摺師、版元の総合芸術たる所以がここに見られます。
西村屋与八は富士山信仰が篤く、自ら富士講のリーダーを務めるほどでした。
その与八が、背景も人物もなく富士を真正面から捉えた「凱風快晴」を見た時、
大いに感動したのではないでしょうか。
そして奇跡の一瞬と言われ、吉祥縁起の象徴とされる赤富士を
その中に見出したのではないでしょうか。
古来より霊峰とあがめられ、末広がりの形と、
富士=不死から不老長寿の意味もあり、吉祥とされてきた富士山です。
そこに大漁を意味する鰯雲、疱瘡除けの赤色、
東京湾に千石船を吹き寄せることから商売繁盛の吉風とされた南風(凱風)、
ときた日には、江戸っ子にとっての縁起物のてんこ盛りです。
この素晴らしい富士の絵をたくさん売るために、
もっと鮮やかに赤くして、もっと個性的に、もっとおめでたく、と考えたのが西村屋でした。
おかげで「凱風快晴」は世界的に有名な作品として後世に残り、
西村屋は商売繁盛、いいこと尽くしです。
やっぱり「凱風快晴」は縁起がいいや。