「武州干住」の田園風景とちがい、同じ干住でも干住の花街の裏手を遠くに見た、街道の賑わいを描いています。
街道を進む大名行列の一行の土を踏む足音が聞こえてくるようです。遠くに見える富士山の端麗な姿が、花街とのいい対照を見せてくれます。中景の畑では農作業の休憩中でしょうか、大名行列が街道を行くのを眺める農夫の姿が見えます。春めいているのんびりとした雰囲気が漂う作品です。
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端麗ながら存在感のある富士山 -
街道を進む大名行列の一行の土を踏む足音が聞こえてくるようです。 -
農作業の手を止め大名行列を眺める農夫。ほのぼのとした雰囲気が流れます。 -
ひしめきあう家々の向こうに青い空が広がります。
商品サイズのご案内
摺られております。
専用額の大きさは横44cm×縦37cmとなっております。
サイズについての詳細はこちらをご覧ください。
制作動画のご紹介
専用額のご案内
浮世版画にぴったりな専用額をご用意しました。
シックな漆塗風の木製枠は淡い色合いの浮世絵を引き立て、
和洋問わずお部屋に彩りを与えてくれます。
アクリル仕様は紫外線から大切な作品を守ります。
アクリル仕様は耐久性があり、割れにくく、紫外線から作品を守るUVカット効果を施しております。
輸送に長時間かかる海外への発送などにも最適です。御用途によってお選びくださいませ。
お届け後すぐに飾れます。
額装を施すことによって、お届け後お気に入りの場所にすぐに飾っていただけます。
心を込めたプレゼントを贈られた方も開封後すぐに飾ってお楽しみ頂けます。
葛飾北斎(かつしか ほくさい)
宝暦10年(1760)~嘉永2年(1849)
19歳の時、当時の似顔絵役者絵の第一人者だった勝川春章に弟子入りし、翌年、の画名で浮世絵界にデビューしました。師の亡くなったあと、北斎は勝川派から離れ、京の琳派の流れをくむ俵屋宗理の名を継ぎ、町絵師として活動を始めました。宗理として3年ほど活動し、北斎と名乗りはじめたのは38歳の頃。40代後半に読本の挿絵の斬新な表現が評判となり、50代になると門人の数も増え、葛飾派として一派を作り上げるまでになります。そして北斎の名を不動のものとした『富嶽三十六景』を手がけたのは、70歳を過ぎてからでした。90歳の頃、「あと10年、いや5年あったら本当の画工になれるのに」という強烈な言葉を残しています。
富嶽三十六景
題名のとおり、全図に富士山のある風景を描いたシリーズ物で、葛飾北斎の代表作にとどまらず、浮世絵風景画の代表作ともいわれています。はじめ、三十六図が刊行されましたが、好評のため十図が追加され、計四十六図が刊行されました。当初の三十六図を「表富士」、追加の十図を「裏富士」と呼びます。富士山への篤い信仰は今と変わらず人々の間にあり、当時、集団で富士山に参拝する「富士講」が盛んに行われるなど、こうした社会背景のなかで北斎は『富嶽三十六景』を描き、爆発的ヒットとなりました。