平塚 縄手道 (ひらつか なわてどう)
藤沢から14キロ。画題の「縄手道」とは、田んぼの中を長く続くあぜ道のことをいいます。 あぜ道に「平塚宿」と記された背の高い杭があり、ここか・・・
藤沢から14キロ。画題の「縄手道」とは、田んぼの中を長く続くあぜ道のことをいいます。 あぜ道に「平塚宿」と記された背の高い杭があり、ここか・・・
戸塚から7.3キロの藤沢。遠景の山頂に見えるのは時宗総本山である遊行寺です。 ここは東海道のなかでも有名な寺院で、参詣の人も絶えず、庶人の・・・
保土ヶ谷から9キロの戸塚は、日本橋を朝早く発ち、ほぼ一日を経て辿り着ける宿でした。 ここから鎌倉への道に分かれ、絵の中にも「左りかまくら道・・・
神奈川から5キロ。画題の「新町橋」を渡ると保土ヶ谷宿に入ります。 宿場の家並み、存在感のある樹木の向こうに見える淡くぼかした橙色の空、川の・・・
川崎から10キロの神奈川宿は街道のゆるい丘陵途中にあり、ここを越えた先が現在の横浜です。 街道に軒を並べる茶屋や料理屋から旅楽の風情が感じ・・・
品川から10キロの川崎宿。 絵はこの宿に入る手前の六郷川の渡しが描かれています。六郷川は多摩川の下流の別称になり、多摩川が荏原六郷を流れる・・・
日本橋から8キロ。五十三次最初の宿場、品川。 絵は大名行列の最後尾が八ツ山を右手に街道を南へと進んでいく姿を描いています。左手にひらける袖・・・
江戸から京都まで百二十四里半という長い旅の振り出しは、ここ日本橋でした。 夜間の町の治安を守るために封じていた木戸が左右に開かれると、家々・・・
都座の楽屋頭取(多分篠塚浦右衛門)が、舞台で口上の巻を広げ、次に上場する狂言や役者名、役名を読み上げている姿を描いた作品です。 楽屋頭取と・・・
寛政六年八月、桐座上演の二番目狂言、近松の梅川忠兵衛の「冥途の飛脚」を書き替えた「四方錦故郷旅路」の新口村の段を描いた作品です。 恋ゆえに・・・